2006/06/12

功名が辻「本能寺」に思うこと

大河ドラマ「功名が辻」が始まってから半年が経ち、昨日の放送では大きな山場である「本能寺の変」を迎えました。プロ野球のシーズン中はほとんど録画での視聴になりますが、月曜の朝早々に観てしまうってのはかなり稀だったりします。

はっきり言って「本能寺の変」は、大河ドラマでも民放でも演じつくされてしまっているシーンですよね。「功名が辻」では信長が完全に狂ってしまい、光秀が耐え切れなくなったという、ある意味一般的な解釈がされていたと思います。光秀とお濃の方の間に恋愛感情があったというのは新鮮で驚きましたけど。これは司馬氏の原作か、脚本の設定なのか、どっちなんだろう?

私の中では「本能寺の変」にもう少し違うイメージを持っています。基本的に信長があそこまで狂人になったのかどうか、光秀があんなに人情味に溢れる人だったのかどうか、さらには信長が光秀を本当に嫌っていたのかどうかは疑問。だって、名だたるご家来衆が中国・北陸・関東などに派遣される中、光秀だけが信長の近辺を任されていたわけですよね。信長ほどの切れ者が、ひどい仕打ちを重ねるほど嫌っている家来を近くに置いておくはずがないと思いませんか?

信長の光秀に対する仕打ちにはいろいろ有名なエピソードがあります。丹波攻めの際に人質である光秀の母を見殺しにしたとか、家康の饗応役を申し付けて料理に文句をつけたとか、近江・丹波を召し上げて出雲・石見を切り取り次第にしたとか。うーん、果たしてどうかなぁ。時代は戦国の乱世、その後に天下をとった秀吉や家康によって創作された話と考えても不思議じゃありません。

以前何かの特集でやってましたが、近年では光秀が朝廷と通じていたという説が浮上していると聞きました。新しいことをどんどんやってのける信長を朝廷が憎んでいたのは間違いなさそうですから、こちらの方が怨恨説よりしっくり来るかも。もっとも朝廷がそこまで行き着く背景には、寺院焼き討ちのようにあの時代では考えられない非道があったのだとは思いますけど。

戦にしろ商業にしろ文化にしろ、信長がおこなった政策は画期的で評価すべきものだと思うんですよ。一方、光秀が領地の近江で善政を敷き、民衆に慕われていたというのも興味深い。天才主君と能臣の歯車がどこかで狂ってしまったのですね…たった一つしかない真実は未だ歴史の闇の中に眠っているのでしょう。

「功名が辻」の役者さんやストーリーについても語りたかったのですが、長くなったのでまたの機会に書きたいと思います。

10:04 | エンターテイメント> テレビ | | コメント (2) | トラックバック (1)
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さっそく寝不足 どうしよう from うきうき日記 [2006/06/12 12:50]
ドイツ強いですね。 イングランドはあぶない所あったけど パラグアイに1対0で勝ちました。 共に優勝候補、上々のスタートだね。 強豪チームが残るのは...
COMMENTS
Kirappy [2006/06/12 21:40]

▼うさこ@うきうき日記さん
はじめまして。コメント&トラックバックありがとうございます。
サッカーお好きなのですね。いよいよオーストラリア戦、楽しみです♪

昨日の「本能寺」、ツッコミを入れたい所は多々ありましたが、迫力があって見応えありましたね!

>敵はオーストラリア!
本能寺とかけてる…!?笑わせてもらいました。

うさこ@うきうき日記 [2006/06/12 12:51]

こんにちわ
いよいよ今夜オーストラリア戦ですね。
最近はちょっと寝不足、これから先が心配です。
ところで、昨日の功名が辻(本能寺)
よかったですね。
いよいよ今夜ですぞ
敵はオーストラリア!いざ出陣

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ありがとうございましたm(_ _)m




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